投資先企業紹介

有限会社 村上畜産【事例紹介】

創業者の思いを次世代につなぐ
家族以外への事業承継

<出資先の概要(2019/12 時点)>
会 社 名有限会社村上畜産
代 表 者代表取締役社長 黒濱 武仁
所 在 地山形県米沢市
事業内容養豚一貫
出資年月2007/8
出資金額24,000千円

㈲村上畜産は、山形県米沢市、南原地区にある養豚一貫生産を行う農業法人です。先代の村上勝仁氏(現会長)が個人で養鶏業を営む傍ら、1頭の豚を飼育し始めたのが始まりです。その後、養鶏業から養豚に切り替え、平成元年(1989年)に有限会社村上畜産として法人化しました。
現在の生産規模は母豚360頭規模、年間出荷頭数7,500頭で、かつてはイワタニ・ケンボロー㈱(世界最大の種豚会社PIC社の日本国内の総代理店)の契約原種農場の一つでもありました。「自分が家族に安心して食べさせられる豚肉づくり」にこだわり、地名を冠したブランド豚「天元豚」として、地元はもちろん、香港など海外でも人気を博しています。
村上畜産は平成23年(2011年)、村上氏が70歳になったことを機に事業承継を実施し、獣医師の黒濱武仁氏が代表取締役社長に就任しました。現在は創業者の村上氏は会長として、黒濱社長へ養豚への思いを託し、経営を任せています。当社のように家族以外の人へ事業承継していく場合、うまく進める秘訣は何か、当社の歩みとともにお伺いしました。

 

1.村上畜産のはじまり

― 村上会長は農家のご出身ではないそうですが、農業を始められたきっかけを教えてください。
村上会長 「私は米沢生まれの米沢育ちですが、高校時代は東京の世田谷区で過ごしました。その時に、近所に養鶏をやっているところがありまして、それを手伝っていました。当時はある程度の規模で養鶏をすれば、儲けも良かったのです。学校を卒業後に農業を始めようと思ったのですが、当時は未成年で土地を買うこともできませんでした。結局兄に土地を買ってもらい、地元米沢で養鶏を始めました。
養鶏を始めてから、とある養鶏農家から聞いて採卵周期の短い養鶉(ようじゅん)にも取り組むようになりました。鶉(うずら)は餌を食べるときに周囲にまき散らしてしまうのが悩みで、その餌の二次利用として豚を買い始めたのが養豚を始めたきっかけです。当時は豚肉の単価もよく、次第に養豚に注力するようになりました。
そうして私の代で農業を始めたものの、子供は娘3人です。日本の高度成長期のころ、農業は3Kの仕事とみなされていましたので、無理に娘たちに継がせることは考えませんでした。娘たちに後継希望者がいなかったこともあり、一時は事業の売却も検討していました」

 

2.事業内容:「家族に食べさせたい」安心安全な豚肉づくり

― 御社の事業の特徴を教えてください。
黒濱社長 「自分たちが家族に食べさせたいと思うような、安心安全な豚肉づくりをしています。一度は無投薬での肥育にも挑戦しましたが、ありふれた小さな病気が大きな損害につながりやすくなります。最終的に食べてしまうとしても、生きている間に病気などでストレスをかけているのは問題だなという考えと、これ以上は豚の命の犠牲を増やしたくないという考えから、無投薬をやめ減投薬にしています。いいものを作ったからといって高く売れるという時代でもないので、無投薬はコストをかけても価格に反映しきれなかったことも理由の一つです。
独自の減投薬生産方式で生産した豚肉は、地元の地名から「天元豚」と名付け、商標登録して自社ブランド豚として販売しています。米沢市内でも、スーパーや旅館、レストランで地元ブランド豚として定着しています。
香港への輸出は生産量の2%ですが、11年取り組んでいます。途中、放射能や口蹄疫などの問題で3回出荷停止していた時期があり、8年目でようやく黒字化しました。出荷停止がなければ、もっと早い段階で黒字化できただろうと思います。香港に輸出するのは容易ではありませんが、山形県の応援があって実現しました。こうして継続できているということは評価していただけているということでもあり、大変ありがたいです」

 

3.後継者の出会い:数年のコンサルを経て養豚にかける思いで意気投合

― 村上会長と黒濱社長の出会いについて教えてください。
黒濱社長 「私はもともと獣医としてケンボローに所属していて、27、28歳頃から、村上畜産を担当していました。当時の仕事は獣医師として契約農場で生産する種豚の検品、そして生産に関するコンサルティングが半々でした。村上畜産にも4、5年は通っていました」

村上会長「私は当時黒濱くんと飲みながら話していて、『業界のあるべき姿』や『肉がどうあるべきか』といった方針が共通していることに気づきました。私は、会社の経営は経済行為である以上、血縁の有無に関係なく、同じ意思を継いでくれる人がいいと考えていて、『おいしくなければ豚肉じゃない』という思いを共有でき、波長が合う黒濱くんを後継者として考えるようになりました」

― 黒濱社長のご経歴について教えてください。
黒濱社長 「私は単純に動物が好きで、獣医を志しました。学生時代に様々な現場を見て、産業動物獣医師に興味を持ちました。特に豚がいいなと思い、6年生になってすぐ、当時の助教授のところに相談に行きました。すると、その場でその先生がイワタニ・ケンボローに電話をしてくださり、とんとん拍子に面談を受け、採用となりました。
イワタニ・ケンボローでは獣医師として就職すると最初に農場の研修で豚の知識をつけると、半年後には技術部に配属されました。その後先輩方と現場を回り、養豚現場のコンサルとして病気を防いだり、生産性を向上させるためのアドバイスを行います。我々獣医師には、配属時から種豚の出荷をやめさせる「拒否権」がありました。現場で病気や損害が発生する可能性に気づいたときは上司の指示なく、ひとまず出荷や現場の作業をやめさせることが出来るのです。病気など何らかの問題に発展する可能性があれば、一旦現場を止めたうえで確認し、継続の可否を検討するルールになっています。獣医師の責務を感じながら仕事をしていました」

 

4.事業承継の実際

― 黒濱社長が実際に村上畜産に来ることになった時の様子を教えてください。
村上会長 「黒濱くんのコンサルを受けている時、豚の肥育方法について検討する中で『無投薬』へ挑戦したいと考えるようになりました。挑戦するなら当時相談していた黒濱くんと一緒にやりたいと考え、当時のケンボローの社長に三顧の礼を尽くして説得し、黒濱くんに入社してもらいました。ケンボローの希望で半年と長い期間をかけて引継ぎをし、今でもケンボローとは仲良くやっています」

黒濱社長 「実はケンボロー時代から、同期と『養豚業界で自分のやりたいことをやるにはどうしたらいいか』を考えていたので、独立の可能性も感じていました。ただ、やりたいことがあっても、畜産の新規参入は初期投資が非常に大きい。となると、すでにある農場を引き受ける、ということもひとつの方法かなと考えていました。
仕事柄さまざまな現場を見てきて、豚が生涯に摂取する抗生物質の量の多さに疑問を持っていたこともあり、安心安全な肉を作るべく、抗生物質を減らす方針を薦めていました」
― 黒濱さんが村上畜産に入社されてから、社長になるまでのことを教えてください。
黒濱社長 「入社後半年で取締役になり、会長が70歳になったタイミングで社長交代し代表取締役に就任しました。私がケンボローからコンサルに来ていた頃から、現専務兼農場長の佐藤とは喧々諤々やってきた仲です。コンサル時代から『一緒に悩みましょう』というスタンスでやってきているので、相手も自分も双方の実力がわかっているところからスタートしています。事業承継が比較的スムースに進んだのは、そんな背景があるからかもしれません」

5.アグリ社の出資を受けて

― 御社では事業承継に合わせてアグリ社の仕組みをご活用いただいたそうですが、当時の様子を教えてください。
黒濱社長 「私が入社して少しした頃に、日本政策金融公庫山形支店の担当者からアグリ社のことを紹介され、平成19年(2007年)に出資を受けました。アグリ社からの出資は、日本政策金融公庫と農林中央金庫をはじめJAグループが出資している会社から出資を受けているということです。しかも国の政策にのっとっている制度なので、いざという時に守りになります。
ちなみに、今は創業者である村上会長、自分と専務兼農場長の佐藤で株式を分散しています。たしかに、私が村上畜産に入社した当初、会長から村上畜産の株式は全部社長に譲ると言われていましたし、私自身も素早い経営判断をするには株式が集中しているほうがいい、中小企業の正しい姿だと思っていました。しかし、今のようにアグリ社を含め株式を分散していることで、当社はメリットを享受してきました。過去には外部から性急な経営判断を迫られる場面があり、『私一人で全部は決められません。役員会を開いて検討します。株主に相談します』という風に、対処を考える時間、相手との間合いを作ることができました。
今のうちの会社は、会社としてスピード感はないかもしれないけれど、守りに強く、経営として安定していると思います。ただ、あくまで過去から現在までのうちの会社の経緯があって、これが今のベストの状態だということです。スピード感を持って事業を展開する局面では、逆に足かせになることもあるかもしれません」

6.黒濱社長が目指すもの

― 黒濱社長の今後の夢や目指すところを教えてください。
「村上畜産を、もっと良い会社にしたいです。私が考える良い会社の条件は、『売れるくらいの魅力を備えた会社』です。その条件は、①利益が上がっていること、②わかりやすい事業をやっていること、③企業内統治が出来ていること、の3つだと思います。これらを備えることができれば、事業のチャンスも舞い込みやすくなり、合併、買収、売却も含め、広い意味で事業承継も容易になると思います。
結局はどのような事業でも生活につながっていますから、やはり自分が良いと思うものを作って供給するというのが原点であり、最後の目標でもあります。家族に食べさせたい豚肉づくりの思いを共有できる人達との連携を密にしていき、いいもの作ろう、いいサービスを提供しようという人たちとのコミュニケーションを増やしていきたいです。
また、この地域はまだまだ農業が残っているので、若い人でやる気があってチャンスを生かせるような人が来てくれたら、ありがたいですね」